目に見えない価値観の変化

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最近またコロナのニュースが増えてきましたね。
10月からは新しいワクチン接種がはじまるとかで
また色々な論争が起こりそう・・・
そういった出来事の中で私たちの意識や価値観は今後どのようになっていくのでしょうか。

常識ってどこにあるんだっけ?

時代と共に常識は変化するものだと思いますが
今の常識ってすごく人によって大きく差があると感じませんか?

若者と年配者の世代間ギャップもそうですし、
同じ意味にもなるかもしれませんが新聞やテレビから情報を入手する人と
ネットが主な情報源の人。
これによって大きく”当たり前”が違ってくる。
それがコロナの罹患者が増えたらマスクする、しないであったり
ワクチン打つ、打たないということにつながってきて
”分断”につながってくる。

そういう中でいろんな人と一緒に仕事をすることって
ものすごく難しいと感じています。
当たり前が違う。
だからもちろんゴールも違えば進め方も違う。
だからこそデータや論理的な思考が求められるのだと思う。
その為に率直に話し合うこと、話し合える場が求められる・・・
のだと思います。

しかし、これが社内やビジネスの場であると
上司と部下、客と営業などの関係性によって
建設的に話し合うことができないシーンが多々ある。
そうなると話し合いがまったく進まない。
恥ずかしながらコンサルなんて仕事をさせていただいていても、
匙を投げたくなることが結構ある。
まるでハリー・ポッターの映画の中でハリーがどれだけボルデモードが生き返ったことを訴えても
誰も信じてくれなかったように。
ロンやハーマイオニー、不死鳥の騎士団の仲間の中では
名前を言ってはいけないあの人が戻ったことを理解してくれる人たちの前では
当然のごとく対策が必要であると言えても、
そうでない人たちからは嘘つきだ!頭がおかしくなった!なんて言われる。
そういう経験をした人がコロナ禍から増えたのではないでしょうか。

だからこそ本質的な問題を見つけ出す

昨今、ビジネス研修の中で本質的な問題を見つけ出すためのワークショップが多いと思います。
起っている事象の根本的な要因はどこにあるのか。
そもそもそれがなぜ”問題”なのか。
そこから話し合う必要がある。
「人によって常識が違う」からこそ、
この会社としてこの事象を良しとするのか問題と捉えるか。
そこから考える必要がある。

例えば、富士見通りに建設されたマンションが富士山を見えなくさせてしまう為に
結果解体されることになった件。
あれも前時代的に考えればすでに契約した人もいて建物自体完成した状況であれば
解体という判断にはならなかったのではないか。

当然、マンションができたことによって景観を損なうと近隣住民からの苦情はあるだろうが、
そういったことは決して今回のケースのみならずある程度の規模のマンションが建設される場合
これまでもあったはず。
それでも解体のいう選択をとったのは
今や近隣住民だけの問題がネットにより拡散され、大きな問題として取り上げられるからなのか、
それとも事業主である積水ハウスの事業意義「人間性豊かな住まいと環境の創造」に反すると
判断したからなのかは分からない。

しかし、結局は解体という道を企業として選択したということは
この状況を”問題”として扱ったからこそ。
企業によっては、法的に問題なく多少の近隣トラブルはあるがいつものことで、
既に工事も進んでいるのだから問題にすらならない、という事だってあるのではないでしょうか?
積水ハウスにとっては大きな赤字であったでしょうし、
契約していたお客様にとっては本当に”いい迷惑”だと思う。
担当の営業からしたらやりきれない想いだってあると思う。
私がどの立場であってもきっとすごく腹が立つと思う。
それでも、この一件は今の時代大手企業が何を問題とし、どのような解決方法を選択するのか。
そういった視点で考えると非常に興味深いことだと私は考えます。

多くの人が働くうえで、何を大切にするのか。
何がNGで何がOKなのか。
人によってそれぞれ違うことは当然ですが、
就職においてはどういう価値観を持つ企業で働くのか。
その点が非常に重視されている時代。

そこが理解できないーだから話し合うこともない。
そういう企業はすでに時代についていけなかった。
そんな風に映るかもしれませんね。

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